柳原前光の権力の源は、妹の愛子を明治天皇の側室に送り込んで皇室に食い込んでいたことにあった
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娘の柳原白蓮(…)正田美智子批判運動の急先鋒として、暴力団右翼と組んでヒステリックな美智子妃皇室追放のキャンペーン(…)紀元節問題でも暴力団と組んで三笠宮脅迫事件
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孫は、昭和天皇の侍従長の入江相政
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この時皇太子には三人の皇子があり、直系皇位継承における不安は薄れていた。明治31年からの九年間で五つの新宮家が立てられた(成長した四人の皇女の婿候補の格を上げるため)ことも天皇を安心させていた。
Tue
現在の日本においても皇位継承問題で対立が起きている。現在の天皇の直系であることを重視して女性天皇を指示する人々と、男系男子の伝統を守ろうとする人々との対立である。この対立は昨日の紀子さまご懐妊のニュースの前後から政治的な色彩を強め始め、皇位継承問題は『小泉VS反小泉』の政争の道具にされようとし始めている。
このような現象は過去の日本の歴史において何度も繰り返されてきたことである。実際に皇位継承の当事者である皇太子さまやアヤノ宮さま達が、皇位継承問題をめぐって自らの希望を実現するために主体的に関与しているなどという事実は無い。全ては皇族とは関係の無いところで政治家たちが継承問題を政争の道具とし、女系容認派VS男系支持派に分かれて権力闘争をしているのである。
江戸時代以前は天皇の位に入っていなかった天智天皇の息子、大友皇子に対して、水戸史学の影響から、現在は「弘文天皇」と、皇統譜に明示するようになりました。
即位儀礼をおこなったかどうかは定かでないまま、第39代天皇として歴代天皇位に入れられています。明治以前には天皇位を認めていなかった皇子に対して、47代淳仁天皇、85代仲恭天皇、85代後村上天皇(南朝の後醍醐天皇の息子)に追号して天皇位を認めることになりました。このように、天皇位の認定は、明治以後、かわっています。
「歴代天皇」というのが、絶対確実なものではなく、その時代その時代の考え方によって変化している
江戸時代は儒教の影響もあって女性の地位が極端に下がっています。
女性不信の家康にはもってこいだったでしょう(苦笑)女性の地位が一番低いのは明治時代と言われています。
明治新政府は、徳川時代の刷新を考えていましたが女性に関してはそのままでした。
(tereserv1030)
Wed
だから罪でありこの時点で詰みなのです。 将棋で言う数手詰みです。 伝統にも未来にも関係なく理念のみが先行したが故にやらかした致命的な失敗。(antkidnew) 1 year ago This has been flagged as spam
Sun
南原繁と言えば中曽根康弘とともに昭和天皇退位を主張したけどGHQが結局昭和天皇続投を決めたので泣き言をこぼした曲学阿世の徒。
個人の戸籍が消えて“無(零)”になるのである
- 田中卓 「女系天皇公認の歴史的正当性/『皇室典範』より遥かに重い天照大神の『神勅』に還ろう」『わしズム』 Vol.30 p.36
Tue
東アジアの各国は基本的に儒教文化なので皇位・王位継承が男系男子に限られるのはこの地域のスタンダードである。隣国の韓国・朝鮮では新羅時代に女王の例がいくつかあるが、これはまだ儒教が浸透する前で、姓名も現在のような中国風になる以前、あるいはその前後のことである。
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中国ではもっと徹底しており、唐の時代に帝位を簒奪して周という国を立てた則天武后を唯一の例外として女帝の例は皆無である。則天武后にしてもその一般的な名称が示す通り皇后としての側面が強調されていて中国の伝統教養から見れば皇帝としては認められていない。
権威は個人をこえているが、権能は個人にとどめられるものであり、天皇の制度は、こうした大きな違いを内包している。

